俺の住んでいる地域は田舎であって、夜になるとキレイに星が見えるらしい。
星を毎日眺めている訳ではないから俺は良く分からないのだが。
都会から帰ってきた友人達は、口を揃えて「星がよく見える」と言う。
思えば夜が心地良く思えるようになったのはいつ頃からなのだろうか。
俺が小学生ぐらいの頃は夜がたまらなく怖かったものだ。
低学年の時は電気を付けてないと寝られない程だったのだから相当だろう。
昔の俺は快活な少年であった。
学校から家に帰るとランドセルを置いてすぐに家を飛び出した。
親に買ってもらったグローブを持って友人と野球をしたり。
あるいは友人や自分の家に集まってゲームで遊んだり。
草むらで木の棒を拾って振り回したり、公園で走り回ったり。
昼間は大体誰かしらと一緒に居た為に夜の静けさが一層引き立ち、たまらなく怖かった。
あの頃の自分は寂しがり屋だったのだ。
夜になり布団に潜ると昼には考えなかったような事が頭に浮かんでくる。
暗闇と静寂は思考の触媒の1つなのだろう。
他人の目に映る風景と自分の目に映る風景は本当に同じなのだろうか?だとか
自分が死んだ際、生まれ変わった時はどうなるのだろうか?だとか
眠って意識を失う瞬間を探ってみたりなんて事もしていた気がする。
思い返せばあの頃からそれ程重要ではない事を真剣に考えていた気がする。
もっともそれは今も変わらないのだが。
しかし今は夜は怖いものではない。
寂しがり屋では無くなったからだろうか?
と言うよりかは昔とは違い他人に依存しなくなったからかもしれない。
では何故俺は他人に依存しなくなったのだろうか?
・・・今回はこれぐらいにしておこう。
話せば長くなるし、スロ・パチにはあまり関係のない事でもある。
また気が向いた時にでも続きを書こう。
もっとも、続きが気になるという読者もいないだろうから次はいつになるかは分からない。
↑押してくれると嬉しい!
人気ブログランキングへ
2014年8月20日水曜日
そういえば俺は小さい頃夜が怖かった。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
依存しようにもその相手、対象がいないのだから依存できない。
返信削除これは依存していないと言い切っていいのだろうか?
それは、していないだけであって、しっかりとした自分を持っている訳ではない。
対象を人物ではなく、モノや行動に置き換え・・・たらそれはただの依存症かw
>匿名さん
返信削除あぁ・・・なるほどw
確かに依存する対象がいなければ依存していないとは言いにくいですねw
こりゃ一本取られちゃいましたね、えへへ^p^
そのへんも踏まえた上で続きを書くようにします!